台風後の出張なので台風一過で新幹線も在来線も稼働してるのでなんてこともないのだが街の中の爪痕は激しかった
しかし9/6未明の北海道で地震。
台風・地震、被災者の皆様の1日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます
9/6朝、博多土産購入後、博多から広島へ
10時~12時 税理士事務所
13時半~14時半 輸入建材屋
一応ここまでが仕事らしい仕事
15時半~新幹線で大阪へ移動
夜は4/末までパネル会社の福岡支店にいたが本社執行役に昇進した担当と心斎橋で割烹を食う
全般的に美味かったがクエ(と言うほど大きくはない)のアラ炊きと最後の生うにのパスタが最高に美味かった
9/7ゆっくり朝を過ごし昼前に前日の執行役と本社倉庫・工場を見て回る(執行役の被害状況確認に付き合い街中の被害も見せてもらった)
昼飯はお好み焼き(前夜は私が支払った)
当該昼は「今日は安いので私が払います」と執行役がのたまう
「あと5回は大阪に来てお好み焼き食うてぇな~それでちゃらやで~」
執行役に昇進するためにはこういう配慮が必要なんだな?(・_・D フムフム
お好み焼きと焼きそばでお腹一杯になり新大阪へ移動
14時半 新大阪→新横浜
駅前のビジネスホテルに入り、夜からの25年前の同僚達と25年振りの飯会に備える
なぜか場所は横浜でも新横浜でもなく「あざみ野」
そこが私含め他7名の帰りの都合(電車)が良いからだとか
1件目の居酒屋はまあまあの味とボリュームだが特筆すべきことは生ビールを注文してから来るまでが極めて長いということくらいか
2件目は近所の場末のスナック(これが渋かった)近所のおじさん(私たちも立派なおじさんだが)が塩ラーメンを食べに来たかと思えばキープ焼酎を1杯飲むだけで帰るおじさんとか日本語がたどたどしいミシガン出身の若者とかとにかく楽しい酒場であった
昔話、今の話、車の話、仕事の話、25年は長いけどあっという間でもある
私たちはバブル絶頂期に横浜東京で過ごした
あの頃は未来がキラキラしてたが崩壊と共に現実世界に真っ逆さま
それでも皆逞しく元気だ
職人になった者、起業し辛酸を嘗めたが復活した者、成功した者、安定を求めた者、幸せな結婚した女性、結婚という選択はせず独りで設計事務所を長年継続しいている女性、と生き方は夫々だが誰も彼も自分の生き方に自信と満足しているのがよくわかる
勿論ここまで来るのにどれだけの艱難辛苦があったかは想像に難くない
最後に名物らしいナポリタン(今夜もパスタか)を食し帰りの横浜市営地下鉄に乗り込んだ
翌日は朝もかなりゆっくり起きてビジネスホテルを出た
何にもすることないのだが羽田空港に行くまで横浜駅界隈をぶらつく
10年前とはそーんなに変わってないような気もするが変わってたところも多々
ましてや25年前の裏横あたりは今とは比較にならないしMM21地区なんて当時はまだなかった
新山下はえらく寂しいところだったしベイブリッジが出来て直ぐの頃だった
ノスタルジーを感じるほど歳なんだな・・・^^;;
羽田空港から夕陽を浴びて離陸、ひと眠りすれば福岡空港
地下鉄2駅で博多駅、便利なもんだ
11月下旬に再び江戸に行く予定だがこれはほぼ仕事のみ・・・orz
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